東京校の講義レポート

平成28年(2015)【1月8日(金)・1月9日(土)】 吉田松陰先生の故郷・萩「第7回 松下村塾合宿」

2016/01/08
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●1日目の流れ
12:30 萩・松陰神社集合 朝礼
12:50 松陰神社、幽囚室、杉家旧宅、塾生宅跡、団子岩ほか散策
14:50 至誠館見学
16:00 高杉晋作が夜道に松下村塾に通っていた道を辿る
16:30 高杉晋作誕生の地を廻る
17:20 民宿 到着
18:00 夕食 バトルロワイヤル
18:40 入浴
19:20 松陰先生について ※映像鑑賞
20:10 松下村塾のおさらい&ディスカッション
22:00 懇親会

●2日目の流れ
7:20  野山獄跡と岩倉獄跡まで散策
8:00  朝食 バトルロワイヤル
9:30  松下村塾の塾生 生家を訪れる
11:00 楫取素彦、山田顕義の生家を訪れる
12:00 昼食
13:00 松陰神社・正式参拝 ※神殿の中で「将来の宣言」(初)
13:20 世界遺産、松下村塾の中で上田宮司による特別講義
14:00 上田宮司の講義 第2部
15:30 終礼 アウトプット

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【1日目】
●松陰神社宝仏殿 至誠館
至誠館には、松陰先生の歴史や、松陰先生の塾生についてや、松陰先生にまつわる物品が、展示物として飾られています。
そこで私が感動したのが、松陰先生が残した留魂録です。
写真では何度も見たことがありましたが、実物大の留魂録は、本当に小さかったです。
小さな紙に、字を目一杯に書き、思い残すことがないように、何枚も束になって綴られていました。
留魂録が、塾生たちの手元に渡った時は、何度も涙が出るほど読まれた物であり、
つい私までも、その偉大な存在に涙が出るほど、噛り付いて覗き込んでいました。
松陰先生の書き残した思いと、塾生が受けとったときの思いが詰まった、貴重な一品を拝見できて、本当に良かったです。

●高杉晋作が夜、親の目を盗み、松下村塾に通った道を辿る
実際に松下村塾まで通っていた道を歩き、高杉晋作は、松陰先生や、塾生との講義が、余程面白かったのだと感じてました。
高杉晋作の家から、松下村塾までは、実際に歩いて片道約30分ぐらいの距離でした。1月の夜は、外は暗く、寒い中を、気難しいタイプの高杉晋作が、わざわざ訪れていたのだから、余程のことです。
松下村塾に行けば、松陰先生の講義を受けられ、己を高め合う同志たちが、熱を持って国事を討議する環境こそ、高杉晋作のおもしきことの一つだったと歩いた、素晴らしい体験でした。

●まとめ
私は、世田谷松陰神社のボランティアガイドをしていますが、萩に訪れたことがなかったので、コンプレックスを感じていましたが、やっと「萩にも行きました!」と言えるのは、嬉しいものです。
そして、ここで学び感じ得たことを、東京で活かし、萩のボランティアガイドの人にも負けないように、ご案内できるようにします。

【2日目】
松下村塾の塾生の生家や、松下村塾の塾生、それに関わった人たちの生家を巡らせて頂きました。さらに、昨年2015年に世界遺産にもなった松下村塾で上田宮司の講義をして下さり、大変貴重な体験を受けることができました。

そこで、2日目の萩研修を通して、良かったベスト3を上げていきます。

●井上勝旧宅跡(ベスト3)
長州ファイブの「生きた器械」の第一歩がそこにあったのだと感じます。
私は、この研修がはじまる前に、長州ファイブについて少し勉強していました。
その人物の一人として、日本国のために何ができるかを考えた人が、井上勝です。
今、国に何が必要であるかを、考え行動した井上勝は、自分の人生を鉄道に捧げました。
もともと国を守るために、国の防衛策を考えていた人間が、イギリスに密航し、自身の人生を鉄道にかけると、切り替えた人生の決断、そして、のめり込むように鉄道を学ぶ姿勢は、私が学ばなくては、いけないことでした。
今回、その井上勝が生まれ育った場所に、直に体験して感じることで、自分の人生を決める一歩が、ここにあったのだと感じられる場所でした。

●小田村伊之助(楫取素彦)旧宅跡(ベスト2)
2015年大河ドラマ花燃ゆの主人公、小田村伊之助(楫取素彦)は、至誠の人であり、そのゆかりの地に足を運べたことは、嬉しかったです。今度は、楫取素彦の功績が多く残る、群馬にも足を運びます。
辺境の地である群馬県の県知事として訪れ、地元の人からは、お尋ね者が来たと揶揄されたこともあるけども、地道に個人と話し、何が本当に必要なのか、その土地の人たち一人一人の思いを聞き入れたこの人物こそ、至誠という言葉が、相応しいと、私は感じてます。
今回、小田村伊之助が生まれ育った萩の場所は、松陰先生の家よりも萩城から遠く離れた距離の場所でした。木々が生い茂り、見通しが悪く、家が建っていたのなら小さいスペースしかないほどの場所でしたが、この場所で、一つ一つの課題と向き合う伊之助の実直さを肌で感じられました。
小田村伊之助の誠実に物事に向き合う至誠を、学ばせて頂きました。

●世界遺産の松下村塾での上田宮司の講義(ベスト1)
昨年の2015年に、世界文化遺産として登録された松下村塾で、上田宮司の講義を受けれたことです。世界遺産になって、ベン大としては、はじめて講義だったので、本当に貴重な体験でした。
松下村塾の中に実際に入ってみると、8畳ほどのスペースは狭く、ここに何人もの塾生が集まってきたかと考えると、不思議でした。
1月の萩は、寒かったです。寒い季節の部屋の中で、何人もの塾生が集い、冬場でも、白熱した討論が行われ、寒さを忘れるぐらいの熱がここに、あったのだと思うと、上田宮司の講義は、寒さを忘れるように、聞きいってました。
松陰先生が、塾生に国の事を議論させることで、人を育て、排出したこの場所が、日本をつくった原点だと踏みしめられたことが、何よりも、充実した体験でした。

●最後に
萩に訪れる前まで、「花燃ゆ」の松陰先生が話されていた
「自分の人生、自分の命をどう使うのか」そのことをずっと考えてました。
しかし、答えは、見つからず未だ迷っています。
せっかく時代の中心として時代が動いた萩に来たのだから、私も行動で示すように、突き進みます。

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●【1月7日】1日目
11時頃、萩に到着致しました。私にとりましては初めての土地、ですがバスを降りた瞬間、
この土地が好きである事を確信致しました。
萩の空間から歓迎されている雰囲気を感じ取ったからです。

研修1日目、最も印象に残りましたのは至誠館です。
私は松陰先生直筆の至誠の詩の前に釘付けになりました。『至誠にして動かざる者は未だ之有らざる也』
この句を非常に丁寧にお書きになられておりました。松陰先生が至誠という言葉を心から、非常に大切にされていたという事が良く伝わってまいりました。
二十一回猛士という名前も非常に丁寧にお書きでした。本名の矩方よりも、明らかに丁寧です。最も大切なお名前であるのでしょう。私は『猛』という一文字を良く見てみました。そして、その意味をずっと考えていました。これからも考えてゆきたい一文字です。
更に高杉晋作直筆の漢詩に胸を打たれました。『墓下に回顧す少年の日…』
これほど切ない表現があるでしょうか? 彼の松陰先生への想いの強さは計り知れません。その命溢れる文字に釘付けになりました。
松下村塾から高杉晋作生家を目指して歩いた時、この想いがもう一度溢れました。高杉晋作とは心の優しい、愛のある男であるに違いないと私は思います。
一歩一歩と、道を踏みしめながら歩いていると彼の家族愛が伝わってまいりました。親を『心配させまい』と秘密で松下村塾に通う、彼の家族愛が伝わり、ブルブルと感動いたしました。

【1月8日】2日目
研修2日目、最も印象に残りましたのは松下村塾入室です。私は松陰先生がお座りになっていた席に座りました。
そこで感じた事は表現する事が出来ません。むしろ表現してはいけないと思います。少なくとも、人間の死とは心肺停止を意味する訳では無いと、私が再確認した事をご報告するに止めておきます。
私は『自分は今、人間として命のある生き方をしているのか?』と常に顧みたいと思います。
松陰神社、上田宮司のご講義も印象的でした。特に『大和魂』のお話をありがたく聴かせて頂きました。1年前の私は歴史を全く読まず、大和魂と言われましても、全く何も感じませんでした。これは非常に無関心で冷たい態度であった、と今では大いに反省しております。
私は大和魂とは何か? を知りたいと思います。ですので、これから源氏物語を読んでみる事に致します。

【まとめ】
今回の萩研修にて私は、これからの人生『勇気』を奮おう、と決意を立てました。
上田宮司のご講義にて以下のお話がありました。松陰先生は門下生の人物評価に、厳しい言葉と『優しい』言葉を用いたとの事です。特に伊藤博文のエピソードでは、僕これ『愛す』と評価していたとの事です。
人間が人間に優しくする事は当たり前の事だと私は思います。
人間が人間と愛し合う事も当たり前の事だと私は思います。
ですが、本当に人を愛し、本当に人に優しくする事を想像しますと、これは非常に大変な事なのだと想像します。
萩という地理的に不便な場所から、明治時代を作った力とは、国を愛する松陰先生の愛と優しさが出発点になったのかも知れません。
愛する事や、優しくする事は読書、勉強をしなくては出来ない事だと私は思います。読書しなくては愛や優しさは分からないと思います。感受性が豊かにならないと思います。
性善説という考え方には大いに疑問を感じます。私は愛や優しさを学習にて身に付けたいと思います。
これからの私の人生におきまして、愛や優しさを貫く必要性が出てくるかも知れません。
ですが本当は人に厳しく振る舞った方がラクかも知れません。むしろ優しさなんて投げ出した方がラクに決まっています。ラクな方に逃げない為には勇気が必要だと思います。
勇気が必要な時には『猛』の字を思いだし、自己中心的な自分を律してゆこうと腹に決める事に致しました。愛し、優しくする勇気。これからも松陰先生の『猛』にあやかりながら生きてゆこうと思います。

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●松下村塾合宿 初日
この日は、待ちに待った松下村塾合宿初日だった。
私にとっては2度目だった。
まず移動のバスの中で山口の風景を見て辺鄙ながらも心が浄化されて癒された。
萩に到着して、まず松陰神社に参拝した。
普段世田谷で参拝している松陰神社とは、風や風景は全くと言っていいほど違っていた。
萩は山から吹き降ろす風があったのでおそらくそう感じてしまったのだろう。
この日は、塾生の家を回り、特に団子岩からの風景は、当時松陰先生はどのような思いで見ていたのだろうか、と考えさせられた。
また、この日の夕御飯は私達学生の場合はうどん屋でじゃんけんで決めた。
そのとき私はこんなに美味しいご飯が保証されて生きていてよかったと感じた。

●松下村塾合宿 2日目
2日目は体操で幕開けとなった。
ラジオ体操をやるのは考えたら小学校以来だった。
そして、野山獄岩・倉獄跡まで散策した。
ただ野山獄と岩倉獄は史跡跡で、形が無くて想像できなかった。
思い浮かんだのは、野山獄は松陰先生が悠々自適に授業を行えた環境と岩倉獄の劣悪な環境の対比だった。
チェックアウトした後、山田顕義生家跡、小田村さん生家跡を訪れた。
その中でも特に圧巻だったのは、顕義園と呼ばれる山田顕義生家跡だった。
というのは、他の塾生生家と比べて、格段に間取りが大きく、公園として整備されていたからだ。
顕義園は山田顕義さんが本当に財力があったことをうかがわせていた。

午後は上田宮司による講義だ。
まず神社で、神前でお参りを特別にした。
祀られている松陰先生の前で「将来の宣言」をした時は、重圧の他に言葉に表せないような重みを感じた。
次に本来なら入ることまかりならない、松下村塾に入り、当時松陰先生が授業するスタイルで講義を受けた。
授業を受けている最中、自分の大学までに受けていた授業とは違い先生は私達に国事の事について投げかけていた。
松陰先生のスタイルは正解がない分自分の意見を出せて、仲間の意見も聞けて、今後に生かせるのではないのかと思った。

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