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朝の気仙沼横丁に来ました。綺麗になってきているように見える気仙沼ですが、震災前と後では全く活気が違うようです。
朝の気仙沼横丁で、蟹の専門店をしているお店の方のお話を聞けました。震災当時、気仙沼にいて、避難はしたものの、津波と一緒に炎上した船が目の前に迫ってきたそうです。直接火の被害は受けなかったものの避難した場所の周囲が燃え、救助されるのに3日かかったそうです。防潮堤を作るか否かなど、地元の方ならではのお話を聞けました。考えさせられました。
建物がまるごと流された跡がありました。全壊した建物の姿を見るとどうしてもやりきれない気持ちになりましたがこの日宿泊した漫画喫茶の店主が言うには「この辺りも二階くらいまで浸水した。建物は残ったけど、全壊じゃないから補助なんかも受けられない。中途半端に残ったのもそれなりに困ったよ」と。被災した人の思いや考えは複雑だと感じました。
気仙沼横丁近くの港を移動中です。フェリーも発進しておりました。これだけ民家の近くに水があるということは当時の震災で非常に強い勢いの水が大量に押し寄せてきたのでしょう。そう思うとみんな黙ってしまいました。
名取市閖上中学校の写真です。宮城県閖上市では、911人もの方が犠牲に。この閖上中学校でも多くの方が亡くなられました。近くの指定避難所である公民館で「ここはあぶない。閖上中学校に逃げろ」との誘導に従った人たちが、中学校にたどり着く前に津波に流されて亡くなったそうです。津波の高さは3.2メートル。公民館に残った数十人は生き残ったそうです。学校も浸水した所、地震で倒壊した所など荒れ果てた状態でした。
閖上での写真。屋上から外を見てみるとその閑散とした光景に驚きました。閖上中学校から公民館と海岸を望みながら黙祷を捧げ、閖上中学校を後にしました。