東京校の講義レポート

平成24年(2012)【5月29日(火)】 田中太郎先生(株式会社ガイアソリューション 代表取締役)  『リアル歴史学』

2012/05/29
今日は、パール判事と東京裁判の関係を教えて頂きました。
パール判事によると、東京裁判とは、国際法に違反するだけでなく、
罪刑法廷主義を踏みにじった復讐裁判だとして、A級戦犯全員を無罪とされました。
無罪の証明のために、1928年から1945年までの18年間の歴史を調べられたのですが、
その中には、日本人が知らない歴史もあり、それさえ読めば「日本は国際犯罪を犯したのだ」
「日本は侵略の暴挙を会えてしたのだ」という自虐史観を持つことはなくなると判事は仰られます。
パール判事の日本に対する思いが一番現れている文章があります。
「日本の子孫が歪められた罪悪感を背負って卑屈に流されていくのを、
わたくしは見過ごして平然たるわけにはゆかない」
東京裁判では、7人が斬首刑となりました。
その判決を食い止められなかった自分の非力さに責任を感じ、
A級戦犯・BC級戦犯の家族と会われ「戦犯と言われるが、決して犯罪者ではありません。
全員無罪です。恥ずべき事は一つもありません」
「罪のないもの同士を引き離しておくわけにはいきません」と、家族の中に歩み寄られ、
「泣かないで。。。。泣かないで。。。。。」と自分も涙を流されたそうです。
僕は、田中太郎さんのお話を伺い、正しい歴史認識を持つ事が、
個人が健康な心を保つためにも、日本が世界の国々と悲観的にならず
堂々と渡り合っていく上で大切だと感じました。
又、数十年に、パール判事という方が公正な判断をされた唯一の方だと知り」、
自分もその思いを引き継いでいかないといけないと感じました。
歴史というのは、こうして引き継がれていくのだと感じました。

From:井浪康晴(島根大学卒、京都府出身)@JVU4期生
歴史学 田中太郎先生

●いつもとは違う田中先生
田中先生と会うときはいつも大勢の経営者に囲まれた中で、大きな声でハッキリとお話をされている。
しかし、今日はボソボソとした感じでたまに考えたりしながらお話をされていた。
そこから、今日田中先生は講義に来たのではない。
今のまま、ありのままを私達に語りに来てくださったのではないだろうかと感じました。
田中先生がおっしゃる言葉には重みと体験がずっしりとのっかっていました。

●反省する日本人に憤るパール判事
パール判事は公正にとても忠実な人だった。
東京国際裁判をただ一人、無罪判決をし、裁判が不当だったと主張し続けた人だ。
しかし当の日本人は戦争を起こしてしまいごめんなさいという。
そんな日本人にパール判事は「あやまる事は何ひとつない」と言ってくれた。
異様な状況、皮肉な出来事だなと感じてしまいました。
奥さんが危篤状態になり、亡くなる時でも日本のために無罪を主張し続け動いて下さっていたパール判事。
ここまで日本の為に動いてくれる人がいた事、
ここまでするくらい日本は愛される国だという事をきちんと認識していきます。
アジアには親日の国がたくさんあります。
ただ反省だけをするのではなく、実際に何が起こったのか、
周りはどうなっているのか見て正しい歴史観をもちます。

●この事を話すと友達なくすよ
私が最後にした質問。
「この事をどうやって伝えていけば良いですか?」
今の日本人は国の味方をする発言にすごく過敏に反応する。
それだけで右寄りというレッテルを張り避けられていく。
田中さんがパール判事の事を伝えると、友達が減っていったという。
それでも伝えていく田中さんには非常に重い覚悟があるのだと感じる。
生半可な伝え方、ただ表面を述べるだけではいけない。
今出来るのは気持ちと事実を伝えるのではなく、
事実に沿った本物を見せる事なのだと感じました。

From:藤井勇貴(名古屋学芸大学卒、三重県出身)@JVU3期生
「復讐裁判だった」
初め東京裁判はアメリカの復讐のための裁判だったのだろうと聞き、まさかとは思った。
しかし
・起訴と処刑の日を天皇の誕生日にぶつける
・11名の判事はパール判事以外国際法に詳しくない弁護士
・マッカーサー自身も帰国後「主に自衛のためだった」と発言などを聞き、
事実をきちんと確認しようとしないで、
決めつけで行った復讐裁判だと判断せざるを得ないと感じた。
その中で一人法律の真理と日本人のために無罪を主張し続けたパール判事の存在は、
戦後、様々なものを奪われた日本人に希望を与えたのだろうなと感じた。

「傀儡政権となった日本」
原爆慰霊碑に刻まれた「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから・・」という言葉がある。
本に書かれている通り私も、過ちとは誰の過ちなのか疑問に思う。
原爆を落とされてもなお自分達が悪いというのなら、日本人は何てお人好しなのだろう。
マッカーサーが米国へ帰るとき、衆参議院では感謝の意を示し、
新聞はマッカーサーの賛辞を書き立て、出迎えを国民20万人で行ったと本には書いていた。
国民は操り人形だったのだなと思う。
アメリカの民主主義と平和主義の押しつけが成功して、被害者の声は押し込められてしまう。
その間違った教育が戦後もまだ脈々と続いていると考えると、どこかでこの流れを変えないとなと感じる。

From:小林諒也(公立はこだて未来大学院卒、北海道出身)@JVU4期生

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