東京校の講義レポート

平成25年(2013)【3月19日(火)】 知覧卒業合宿 1日目

2013/03/19
⚫凄い覚悟
20歳前後の人が自分の国、家族を守るために命を捧げるという覚悟を
決めることは、凄いと遺書を読み感じました。
何も言い訳などはなく素直な気持ちを書かれており、
特攻すると覚悟を決めておられました。
この覚悟にくらべれば、自分がこれから経験する困難は
大したことはないだろうと思います。
困難に直面したときは、この先輩達のことを思い出し
乗り切っていこうと考えました。

⚫綺麗な桜
私達が訪れたときとても桜が綺麗に咲いていました。
この時期に咲くことは鹿児島でも珍しいと聞き何か偶然ではなく
意味があるような気がしていました。
中條先生もこれは我々を出迎えてくれている、
とおっしゃられておりました。
嬉しくもありましたが同時にもっと頑張って先輩達に恥ずかしくないように
しないといけないと緊張もしました。

【富屋旅館 中條先生の講義】
⚫恐ろしい占領政策
日本を骨抜きにさせるためのアメリカのやり方には恐ろしさを感じました。
日本の軍人を完全なる悪とし、占領後は日本人に優しく
ガムやチョコを配る…
さらに牢屋にいた思想家を解放したり、
国民の意識から戦うということを消させました。
さらに歴史も完全に日本を悪として偉人なども消されていく…
まさに国が滅びる条件を満たしているなと感じました。
こんな状況を変えるには自分の足で知覧など行き,
歴史を学ぶ必要があると感じます。
そこから真実を学び、自分なりの考えを持たないといけないな、と思いました。

【女将さんのお話】
⚫情けない自分たち
自分たちのダラダラとした行動、聞きにいくという姿勢のなさなど
学生気分・観光気分が抜けていない点を北尾さんや女将さんに
注意をいただきました。
情けないと感じました。
分校はまだ現役の学生が多いためそれは
しょうがないことだったのかもしれないですが、
もっと引っ張っていくことも出来たなと感じ申し訳ないです。

【JVU全国各校の卒業式】
⚫実感がない
東京校はまだ卒業式ではありませんが、分校はこの知覧で卒業式となりました。
あっという間に1年が過ぎまだ全然実感が湧きません。
学生一人一人の話を聞きましたが、
それぞれが想いを持って入学し様々なことを学び変わってきており、
ベンチャー大學の意味、素晴らしさを改て感じます。
自分たちももうすぐ卒業しますが、もう一度この一年を振り返って
どれくらい変われたのかを考えてみようと思います。

2日間の研修ですがあっという間終わってしまったなと感じております。
卒業式のときにも感じましたが時間が経つのは早い、
学べるときに学んで、行動出来るときにする。
これが大切だと思います。


From:渡辺寛高(広島県出身、尾道大学卒)JVU4期生

【中條高徳学長】
今回の知覧にはなんと学長の中條先生がいらしてくださった。
知覧で中條先生の話が聴けるのはきっと一生あるかないかだろう。
本当に感謝である。

・人は夢を求める
中條先生は人間は夢を持たなかったら滅びるとおっしゃった。
その例として、終戦を迎えた時のお話をしていただいた。
終戦が伝えられた時の軍人たちはこの先何をすればよいのか分からなくなっていたらしい。
中には自殺する人さえいたというのには驚いた。
夢や目標というのはその人の生きる意味、いわゆる生きがいにつながると感じた。
そしてその夢が叶ったり、失ってしまったら、次を見つけたらよいのだ。
この夢を求め続けることが人間の使命であると考える。

・感性
中條先生から見れば、今の人たちは感性を忘れているとのこと。
同じに日本人にも関わらず、昔の人は感性があったのは何故だろうか。
様々な原因があると考えられるが、私は考えたり、感じたりする機会が少なくなったからだと思う。
今は調べたい事があれば、ネットを使えば瞬時に調べられる。
しかし、昔は情報も少なく、自分の足でその場へ行き、自分の目で実際に確かめないといけなかった。
こうして感性は磨かれる。
中條先生は感性を研ぎ澄ますとは思いがけないことが起こると教えていただいた。
現地現場を大切にしているベン大の講義で少しは磨かれただろうか。
これからもネットやマスコミの情報だけでなく、実際にそのへ足を運び、もっともっと感性を磨いていく。

【鳥濱初代さん】
2日目の朝、富屋旅館女将の鳥濱初代さんに講演していただいた。
初代さんの一人ずつに語りかけるような話し方は、非常に考えさせられる。

・当たり前
「どんな事を当たり前とし、人生を生きていますか?」
という初代さんの投げかけに対し、パッと思い浮かぶものがなかった。
私は当たり前という基準は、その人の生活や価値観によってそれぞれ異なると思っていた。
しかし、当たり前ということなど無いと感じた。
人間が生きていく中で必要なもの全てが当たり前ではない。
そう考えると生きていること自体に感謝しなくてはならない。
一つ一つのことに感謝して生きていかなければならない。
初代さんが「徳を貫く事は命よりも大切。」と言っていた意味が理解できた。
きっとこれが人を思いやる気持ちに繋がるのだ。

【分校卒業式】
2日目の昼、分校の卒業式が行われた。
一人ひとりのスピーチを聞き、心が熱くなった。
ベン大の卒業は終わりでもあり、始まりでもあるという中條先生の台詞がずっと残っている。
同志は素晴らしい。
仲間でもあり、ライバルでもある。
これからも助け合い、共に成長していく姿を思い浮かべるだけでワクワクする。

【知覧という地】
3回目となる今回の知覧。
1年前に訪れた際は、特攻隊のことなどあまり知らず、ただただ衝撃だったという記憶しか残っていない。
しかし、知覧に来れた事でベン大入学のきっかけになったことは間違いない。
1年間のベン大生活を経て、再び来れた事は私にとって非常に大きい。
今回は4月からの新生活に向けて、何がなんでもやり切る決意と覚悟をするためにやってきた。
そして、1年前とは異なり、感じ方や気づきが全く違っていることに驚いた。
食事一つから、お風呂、部屋で寝る際も、自然と当時の隊員たちのことが頭に浮かんできた。

2日目の朝、みんなで三角兵舎跡地と特攻平和観音堂まで足を運んだ。
三角兵舎は飛び立つ直前の特攻隊員の宿舎であり、敵に見つからないように木々に囲まれており、朝でもとても薄暗かった。雨ということもあったが。
飛行場までの道のりを当時の隊員たちはどういった気持ちだったのかと考えながら歩いたが、答えは出てこない。
今を生きる私たちでは、いくら考えてもしっくりとこないだろう。
しかし、当時の隊員と今の自分に照らし合わせるのは非常に大切なことだと感じた。
これからの人生で壁にぶち当ったり、迷いを感じた際はここ知覧に来ることにする。


From:南出浩(大阪府出身、桃山学院大学卒)JVU4期生

ベンチャー大学の東京校の日本遊学の最終地点であり、
最後の講義の場所である鹿児島県の知覧に行きました。
最後の講義は、特攻隊についてです。
私たちは、今回、富屋旅館に一泊をして、
当時の特攻隊の人たちは、死ぬ前にどう思っていたのか
そして、どういう気持ちだったのかということを感じ、
私たちは、そのことをどのように受け止めなければいけないのかということを学びました。

・特攻隊の遺書
富屋旅館に行く前に知覧特攻平和会館にいきました。
中には、亡くなられた全員の顔写真、そして遺言状になった手紙の数々と
想像していた以上に重くて、心の奥底に訴えるなにかがありました。
その中に私が一番心に残ったものがありました。
それは、大学生の遺書です。
内容は、「自分は、この戦争は負けると思っている。ただ、自分は、それでも特攻
隊に志願したことは、かまわない。むしろ誇りに思っている。
それは、そのことで家族を守れるのだから」という者でした。

 自分が死ぬことが家族を守ることになると考えることが、
今の同じ年代にできるのだろうか…
私は、予備役として軍隊に所属していますが、ここまでのことを考えることは、
できないと素直に感じました。

ただ、それでも私たちができることはあるとも思います。
それは、今のある自分が誰の支えで成り立っているのかということを気づくということです。
人間一人では成り立たない。必ず誰かが支えてくださっているはずです。
そして、「感謝」をすることを大切にることが、唯一私たちにできることだと感じました。

・女将さんの話から

富屋旅館の女将さんの講義の中で、これから先私の中で残る言葉がありました。
それは、「何ができるのか、そして、あなたの役割は何なのか」ということです。
実際にこれから私たちは、ベンチャー大学を卒業して新たなステップに上がります。
その中で何ができるのか、自分の役割を今一度考えさせてくれるきっかけだと感じました。

私達は1年間で、それぞれ志を立てました。
その志は立派なものですが、現実にどう行動していくことかは考えキレておりませんでhした。

また、女将さんがそのようなことをあえて質問したことは、
特攻隊に行った多くの若者がもし、死ななかったら私達と同じように、
無限の可能性があったからだとおもいます。

こそ今の戦時下ではないときにすごしている私たちのような若者には、
無限の可能性を最大限に出してもらいたいという願いがあったからではないでしょうか。
私もこれからの新しいステップの中で、一生懸命がんばらないといけないと感じました。

From:森優太(長崎県出身、日本大学卒)JVU4期生

知覧の土地に初めて来た。この落ち着きのある平和な町で、
今から68年前には戦争が起き、若者のむごい特攻の歴史があったとはとても思えなかった。
まず記念館に行った。
記念館には残された沢山の遺書がある。家族・恋人に宛てた手紙。
その見事に綺麗な字の遺書を読むと、国を思う心、
家族を思う心の熱が伝わって来て、私より若い方がここまで特攻という死に勇敢に
立ち向かえたかと感じる。

知覧の土地でも起きた戦争とは。戦争の勉強も富谷旅館です。
なぜ日本が戦争を仕掛けたか。
正直、私には難しくてよく分からない。
でも開拓精神を燃やしてどんどん進出して来たアメリカやロシア、他の欧米諸国。
侵略の歴史がある国々に追い詰められ、やむなく戦争した所があるのではないかなと思う。
そしてハルノートについて。
日本が日米戦争へ向かう決意ができた、
アメリカからの一方的な約束だったという。

中條学長の講義は戦争の歴史、世界からの脅威があったこと、
日本人の精神の強さを学ぶ。
国が滅びる3つの条件、領土を守らないこと、心をなくすこと、
自国の民族の歴史を学ばないこと。
今の日本で国民1人1人がこの意識を持ててるだろうか考えた。

女将さんは2日間、終始私達について来て下さり、本当に沢山の事を教えて貰う。
「亡くなった方々と対話する事が大事なんだよ」と言われていて、
特攻する前に泊まる三角舎へ行ったり、
富谷旅館でのはしの出ない朝食を食べたりとその想いを感じた。

最後のお話では、「自分の命に与えられたものは何かよく考えなさい」
「なぜ自分が生き残ったか考えなさい」と言われていた。
使命とは命を使うと書くが、自分が今どう命を使っているか考えると、
若くして特攻した若者とは全く比べ物に出来ない。

彼らは家族を守る為に、国を守る為に、そして未来の私達を守る為に命を使った。
自分は命を粗末に扱っていないかと感じる。
今の日本は特攻して行った若者の望んだ日本になっているのかという事も考える。

鳥濱トメさんはこの出来事を知り現代の人が生きる力にして欲しいと言われたという。
特攻した若者から今の若者へ想いは託されたのだから、
犠牲になった彼等に感謝して、彼等が喜んでくれる国にしていくよう、
1人1人が生かされた命をどう使うかとことん突き詰めるべきだと強く感じた。

From:小林諒也(北海道出身、はこだて未来大学卒)JVU4期生

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