平成24年(2012)【1月14日(土)】 『言霊Shin捧読会』
本日「遺書を読む会」に参加させていただき、皆さまの前で遺書を読み、本当に良い経験が出来ました。
家族の為、国の為に我が身をなげうって戦場へ向かった若者達の想いを、
朗読の経験もない私たちがどれだけ皆さんに伝えられたかは分かりません。
しかし、聴いて下さった多くの方々に「とても良かった」と言っていただき、
少しでも遺書に込められた想いを伝えることが出来たのなら、
私にとって今回の試みは大成功だったのではないかと感じています。
遺書を読んでいる最中は、本当にこれから自分が戦場へ向かう様な気持ちになり、
その遺書を書いた御霊の気持ちに、少しですが近づけたような気もしました。
日本ベンチャー大學の卒業旅行として、3月に知覧に行きますが、特
攻隊の現場に向かう前の心構えとして素晴らしい機会をいただけたと感じています。
このような機会を与えてくれた、山崎利子さんをはじめとする皆さんに感謝します。
本当にありがとうございました!
From:前田隆至(大東文化大学卒、埼玉県出身)@JVU3期生



・遺書を読ませていただく
本日の会、最後を務めるのは私達ベン大生だ。
前から言われていたことではあったが、本日の人の数、一連の素晴らしい催しを見て、
とてもすごいポジションを任せていただけていることを知りました。
練習を重ねてはいましたが、今までのような場と違い
自分の事を大きな声で言えば良い、というわけではない。
この遺書を書いた人の気持ちを汲み、それを自分の口から出していかなければいけないというのは、とても難しかったです。
自分の事や、想像に容易いことならやりやすいものだが、
特攻隊の方々の気持ちが完全にわかるなんて、誰にも不可能だと思います。
しかし、それと感じ、思うことを忘れるのは違う。
今日は、技術などではなく、本当に思いだけで読みました。
どんな気持ちで書いたのか、どんな場所で、誰に当てているのか。
そういった事を考えると、本当に哀しく、しかし感謝をしなければいけないと感じます。
今日のようなイベントを通して、私達のような学生が色々なことを学び、
それを伝えていけるようにならなければいけないと、改めて気づくことが出来ました。
身近な人から、その思いや感謝をドンドン広げて、
日本からこういった歴史をなくしてはいけない、と深く思いました。
私も、人に伝えていくことを、これからも積極的にやっていきます。
From:本間慶太(東京経済大学卒、東京都出身)@JVU3期生


■理解しきれない想い
→遺書を読んで特攻隊員の方のその時の氣持ちを理解しようとした。
何度も何度も読んで理解しようとした。
しかし、到底理解できなかった。
私は、本や映画などで多少は太平洋戦争末期の知識や時代背景はあるつもりだったが、
当時の人たちがどんな氣持ちで特攻したのかは本人にしか分からない。
遺書を読ませて頂いて思ったのは、
『なぜ、自分の命を捧げてまでも守りたかったのか?』ということだった。
From:小田和浩(富山大学卒、山口県出身)@JVU3期生
平成24年(2012)【1月13日(金)】 『言霊Shin捧読会』リハーサル

■遺書の背後には伝えきれない心の動きがある。
明日のために遺書の読み合わせをしました。
みんなが多く言われた事は「遺書の気持ちを感じ取る」ということでした。
文章では伝えきれない思いや書けないことは多々あります。
もう故郷を離れて家族や大切な人には会えない中で、
最後の言葉を伝えたくて書かれている。
僕が読ませていただく遺書は姉上に当てたものです。
調べてみると、書かれている内容は要約したもので
本来はもっと色々な思いが書かれていました。
その内容は姉上の子どもを思いやる気持ちであったり、
自分勝手に生きている社会への不満だったりと生々しいものです。
この方に限らず他の20代の若者も色んな考えを持っていたはずです。
しかし、残していく家族を心配させたくない優しさや、強くあろうとする精神の強さを感じました。
色々な強さも弱さも抱え込んで死に向かっていったのです。
生きることが尊いものだと深く感じられました。
From:佐々木信(弘前大学卒、北海道出身)@JVU3期生

・言霊を読み取る
今回私たちが読ませていただくのは、
戦争で戦死や殉職された方の遺書であり、物凄く深い想いの込められた手紙です。
当時、これらの遺書を書いた方々の心境や想いは今の私では想像もつきませんが、
考えただけで文字一つひとつがとても重く、
また家族や国に対する想いがひしひしと伝わるものばかりでした。
それと同時に明日やらせていただく本番では、
この遺書を書いた方の想いを背負うと考えると、とても大きな責任も感じました。
今回の遺書に限らず、文字には必ず言霊が込められていると思います。
その想いを少しでも読み取り、落とし込められるよう、
これからも文を読む時など、それらを意識して文字と向き合っていきます。
・想いを聴き手に伝える
実際にリハーサルをやらせていただき、とても難しかったのが、
遺書に込められた想いを言葉で表現し、聴き手に伝えるということでした。
ただ文字を読むだけでは、当然想いは全く伝わりません。
上で書いたように、いかに言霊を読み取り、
その遺書を書いた方の気持ちに近づけるかがとても重要なのだと私は感じます。
そして、その想いを言葉にのせれば必ず聴いていただく人にも、その想いは伝わるのだと思います。
言うのは簡単ですが、やるのはとても難しく、朗読の経験もない私が、上手く伝えられるかは分かりません。
しかし、当日は精一杯、たどたどしくてもいいので、
遺書を書かれた方の想いを少しでも皆さんに伝えられるよう頑張りたいです。
From:前田隆至(大東文化大学卒、埼玉県出身)@JVU3期生

○人生と向き合う
今回、遺書を読ませていただくという貴重な経験をさせていただいてる。
そこで感じたこと。
それは、現代の若者(私も含む)よりも、彼らがもっともっと自分の人生と向き合い、
自分の存在意義を見出し、自分はなぜ生きているのか、ということを明確にわかっていたことだ。
もちろん時代背景も今とは違う。
しかし、心の根っこの部分は人間本来のところであり今と昔も違わないのではないだろうか。
あの文章を読んでいると、力強さを感じる。清らかさを感じる。
わたしも、少しでも自分の使命を感じとり、言葉に言霊が宿るような人間になる。
そうすれば、おのずと周りの人は何かを感じとってくれるはずだ。
From:芳賀淳(城西国際大学在籍、福島県出身)@JVU3期生
平成24年(2012)【1月12日(木)】 『本質思行』 坂本善博先生(資産工学研究所)

●ナレッジを引き出す
私は本日ナレッジファシリテーターをさせていただきました。
ファシリテーターは2回目でしたが、やはり実際にやってみると、
ナレッジの引き出し方や整理の仕方など課題が多く見つかりました。
特にどうすればナレッジ保有者に気持ちよくファシリテーションに参加してもらうことができるのか、
考えや意見を促すことができるのかが、やっていてとても難しかったです。
ナレッジ保有者がベン大生であり、また坂本先生の手助けもあったので
何とか成立しました。
しかし、このナレッジファシリテーションを知らない方とやった時、
どうすれば充実したファシリテーションとなるのかを、
卒業までに体得出来るよう、これからの講義も真剣に取り組んでいきます。
●準備とフォローを怠らない
本日のファシリテーションで私は「ファシリテーションを成功させるためには」というテーマをやらせていただきました。
その中で、準備、実行、仕上、フォローの段階に分け皆さんに意見を出していただきました。
そして、ファシリテーションを進めていくにつれ、
準備段階と仕上げ、フォロー段階が大切なのだという事に改めて気付かせていただきました。
私は今回のファシリテーションにおいて準備段階を怠ってしまっていたように感じます。
次回ファシリテーターをやらせていただく機会がありましたら、
準備に時間をかけ、より充実したものにしたいです。
今回は実行段階まで終わってしまったので、
ナレッジシートの作成や情報の共有などのフォローで挽回できるよう、これから仕上げに取り掛かります。
From:前田隆至(大東文化大学卒、埼玉県出身)@JVU3期生

『初心』
今回のファシリテーションで、ベン大で学んだ躾についてナレッジを出し合った。
ファシリテーションを通し、振り返ることで、
4年制大学時代では学ぶことができなかったことがたくさんあったことに気づかされた。
例えば、他の方に対しての礼儀だったり、集団として行動することの大切さなど、
今となっては当たり前のように考えていることが全く分からなかったことを思い出した。
これを経験し、初心を考えさせられた。
不器用なりに前に進もうとしていたあの闘志を
もう一度思い出し、これから残り少ないベン大生活を全うしていく。
『目標設定』
将来の宣言のときに「○○を達成するために、
本日の講義の中で、××します」というスタイルを使っているが、
目標を掲げたなりに、それに向かって全うすることができていなかった。
あともう少しで達成できたものだったが、最後の追い込みが甘かったように感じた。
ここで目標設定に対する考え方に変化が出てきた。
高く、且つ実現可能な数値を掲げることを意識していく。
From:安齋義仁(いわき明星大学卒、福島県出身)@JVU3期生

■大切にしている言葉こそ正確に記憶する。
『「ぎょうせき」という漢字を書いてみなさい。』
そう言われて書いたが、間違った字を書いてしまった。
業績の「せき」の字を「積」と書いてしまったのだ。
字を書かなくなった世代だから、と言い訳はできるが、
それはあまり関心のない言葉なら通じる言い訳でしかない。
関心のある言葉なら正確に記憶して当然だろう。
もし間違えば、不本意な評価を受けてしまいかねない。
例えば「業績」だがいくら頑張ります、と言ったところで
業績への関心が薄いのではと思われたら評価は下がる。
逆に、売上、利益、前年対比、など経営において重要視している言葉を
しっかり書ける人は意識が高いのだと思ってもらえる。
些細なことでも人は評価を受けていくものだ。
物事を正確に把握できる人ほど細かい事にも鋭い。
それは本質も同じである。
違いを明確にして分類できるから本質を見抜けるのだ。
細部にまでこだわることを徹底していく。
From:佐々木信(弘前大学卒、北海道出身)@JVU3期生

1.学生と社会人の違い
本日はベン大に来て、カルチャーショックを受けた常識などをナレッジさせていただきました。
出来ているか、出来ていないかではなく、知っているか、いないか、で考えると、
結構知っているものが多かったことを文字にすることで、初めて気づきました。
ただ、出来ていると自分では思っていても、
ちょっとした言葉、行動で相手を苛立たせてしまうことも多い。
そういったものは、やはり学生時代と社会人とではかなりの差があると再認識しました。
「私」だけではなく、「公」をしっかりとこなせてこその「私」。
蔑ろにしろ、というわけではないが、組織や集団としての考えも
学生と社会人とでは、かなり違うことを改めて感じました。
まだまだ、学生気分な部分は沢山あるが、意味として理解できることは決して少なくない。
それを実行できるようになるべく、しっかりと意識して行動をします。
From:本間慶太(東京経済大学卒、東京都出身)@JVU3期生
平成24年(2012)【1月7・8日】 『松下村塾合宿』


1.自分次第
今回の合宿を通して一番感じたこと。
それは、結局のところ、やるかやらないか。
それに尽きると感じた。
決して都会とは言えない、萩という地でなぜあれだけの著名人、
歴史に名を残す人物が生まれたのか。
それは確かに松陰先生の存在が大きく影響しているとは思う。
それは確実だ。
しかし、果たしてそれだけだろうか。
私は少し違うと感じている。
自分がこの世に存在している意味、自分は何を成し遂げたいのか、
そのようなことを自分の頭で考える。
そして、そのことを明確にしたのなら、
今度はどうしたら達成出来るのか、なぜ達成したいのか。
このことを、他人の力を借りながらも自分の頭で考えること、
そして自分の意思で行動することがなによりも大切なことなんじゃないかと感じる。
人は他人の力を借りながらでないと生きていけない。
しかしそんな中でも、肝心のところは自分の力で開拓していかなければ、
人生最後のときを満足した気持ちで向かえられるとは、私は思えない。
そんなところからも、松下村塾から学ぶべきものは、たくさんあると感じる。
2.行動あるのみ
黒船に乗り込む。
これが松陰先生の行動力を現す最もわかりやすいエピソードだろう。
それだけ松陰先生は、"行動する"ということを大切にしていた。
考えることは誰にだってできる。
知識を詰め込むことだって誰にだってできる。
しかし、それだけではただの学者、評論家になってしまう。
私は決してここで学者、評論家を批判するつもりはない。
ただ、それだけでいいのか、という疑問が私にはあるということ。
頭だけを動かすのではなく、足を動かし、手を動かし、目を動かし、耳を動かし。
そうやって、五感をフルに活用することが志を達成することに大変重要なのではないだろうか。
行動することで、初めて知識から知恵にかえることが出来るのではないか、と今回の研修で感じることが出来た。
行動しないことには、失敗も成功もうまれない。そのときの環境を自分の力で変えることは出来ない。
まずは行動することだ。
しかし、そこにある程度の知識は必要だ。
それも正しい知識が。
その点からいえば、最近の極端な左寄りの教科書には疑問が大いにある。
これは山近社長に教えていただいたことなのだが、どうも最近の教科書はおかしいらしい。
これでは、行動するしない以前の問題である。
土台作りを失敗してしまえば、先の人生が厳しいものとなってしまう。
そういった点から、教える立場の役割というものは、大変大きなものだろう。
3.執念
松陰先生からは、信念というよりは、それをはるかに越えた執念さえ感じられた。
それは真にお国のことを考えた結果からくるものだと感じる。
最初から最後まで、お国のことを憂いていた。
そんな気持ちを感じたからこそ、塾生たちが松陰先生の意志を受け継ぎ、
見事に明治維新を成し遂げることが出来たのだろう。
そういった周りを巻き込むということ。
それができるのは、誰よりも真剣に何かを想い、ときめいていること。
芯を曲げない強い意志を持っていること。
それが何よりも大切なんだと、研修を通して改めて感じた。
想い続けるということは、簡単なことのようで簡単ではないと思う。
しかし、だからこそ、そこに大切な何かがあるのだと感じた。
From:芳賀淳(城西国際大学在籍、福島県出身)@JVU3期生


1.感激
→日本ベンチャー大學生として、初めての松下村塾合宿。
地元山口県の萩で志について学べることにとても誇り高かった。
今回、とても感激したのは上田宮司のお話を聞かせて頂けたこと。
梅地先生のお話を聞かせて頂けたこと。
そして、松下村塾に上がらせて頂いたことだ。
私は、毎年松下村塾に参っているが23年目にして初めて松下村塾内に上がらせて頂いた。
とても感激だった。
私よりも長く、多く松下村塾に来られて、松下村塾に上がりたくても上がれない人は山のようにたくさんいる。
今回の貴重な体験を決して忘れない。
次回から松下村塾にくる時は、依然とは違った氣持ちで参ることになるだろう。
2.情報収集力
→松陰先生も情報収集をとても大切にされていた。
松陰先生の情報収集の主な手段は3つ。
①人に聞く ②本を読む ③現地に行く である。
特に松陰先生が大切にされたのは現地に行って人に聞いたりすることだ。
これは、インターネットが普及した現代でも変わらない。
不偏の真理だと思う。
インターネットが普及した現代だからこそ、実際に行く人がもしかしたら少なくなっているかもしれない。
差をつけるためにも、実際に行くことでの体験や学びを大切にする。
そうすることで自分にしか発信できない情報や学びを増やし、ブランド力をアップさせる。
3.才能とは
→才能とは努力する姿勢である。
今回の合宿を通じてそう感じた。
松陰先生は努力家で文字通り寝る間も惜しんで勉強した。
お金と時間をかけて勉強した。
松陰先生はもともと天才と呼ばれているが、その裏には尋常でない努力がかれている。
そういった努力を私も学び、実践できるようにする。
From:小田和浩(富山大学卒、山口県出身)@JVU3期生


■公のために生きている。
松陰先生の価値観の根本には公のため、藩のためにがあった。
東北へ行くために脱藩したのも外国の情報を知るためだった。
この「公」という価値観は幼少の頃に玉木文之進によって骨まで沁みたものである。
蚊を払う事すら私事であるというスパルタが作り上げたモノだ。
現代にはここまで公に対する貢献がある人はいないだろう。
そもそも歴史上を見てもいないのではないだろうか。
松陰先生が多くの人から尊敬の念を集めたのは私を超えた公への信念があったからこそだろう。
罪人と言われようが、家族がその責任を受けようが松陰先生のようになりなさいと言われる人だったのだ。
僕が学んだのは利他で行動することです。
人のため、周りのため、相手のため、何かのために一生懸命することを耐えず実践して
将来優れたリーダーになる。
■周りの能力を開花させる。
松下村塾の周りに住んでた人が塾生として松陰先生から学ぼうとして集まった。
驚くべきは半径2キロ圏内に現代にも名を残す方が多く住んでいたことだ。
普通の街では一つの街に何人も偉人を排出することは稀である。
大抵の街には1人いるかいないかの確率である。
それが萩では高杉晋作、桂小五郎、伊藤博文はど、
明治維新の立役者が数多く存在しているのだ。
そしてその大半が松下村塾の出身者である。
これは塾の学びが自学自習にあることと、実践をすることを大切にしていたからだろう。
全員が才能があって優れていたわけではないと言う。
不可能と思われようとも行動すること、人の何倍も努力することでスキルを磨く事をし続けたからだ。
そして一番は若者を熱く燃え上がらせる松陰先生のエネルギーがあっただろう。
必ず出来ると信じてやり続ければ必ず達成できるのだ。
■歴史を正しく認識する。
僕らがやってきた歴史はかなり偏ったものであった。
日本が嫌いになるようなこと、日本人が悪いと刷り込むような内容が多かった。
しかし日本人が日本のことを悪く言うのはおかしい。
確かに間違っていた部分もあるかもしれない。
しかしそれ以上に日本には素晴らしい偉人たちがいた事は事実であり、
その方々が日本という国を作ってきたのだ。
公平な目で日本を学び、日本は何なのかを語れるようになってこそ日本人としての自覚が生まれる。
自虐的であるよりも、誇れる国なのだと自信を持ちたい。
時が経つと忘れ去られていくが、それを語れる人間として日本を良くするために行動していくのだ。
From:佐々木信(弘前大学卒、北海道出身)@JVU3期生








平成23年(2011)【12月24日(土)】 『歴史と人間力 ~赤穂義士を辿る。』 両国(吉良邸跡)~泉岳寺

11.1kmの道
18歳~70歳以上の義士たちが、死ぬ覚悟で歩いた道。
討ち入りを果たし、帰りも死ぬことは確実だった赤穂義士は
どんな気持ちでこの11kmの道を歩いたのか。
こんなに年代の離れた人達が、浅野家滅亡後1年以上かけてなお、
仇討ちをしようとするその忠義はドコからきたのか。
忠義とは、どういったことなのか。
色々と歩きながら問いかけられるような体験でした。
忠義なんて言葉は、大体の意味しかわからないが、
赤穂義士に最も重要な言葉は、この忠義だと感じました。
浅野家と大石内蔵助の元に47人もの、死を覚悟した人が集まった。
昔のことだからと言ってしまえば、納得してしまいそうだが、
とてもすごいことだと改めて感じています。
今日のこの道を歩いたことで、次に忠臣蔵を見るのが今から楽しみです。
確実に今までと違った感想や感覚がでるだろうと感じています。
現場の大切さ、改めて実感できる時間でした。
From:本間慶太(東京経済大学卒、東京都出身)@日本ベンチャー大學3期生

1.忠義
真の忠義とは何かを考えさせられた。
単に、命令されてするのが忠義ではない。
忠義とは、上司のことを想って自らが行動することだと感じた。
大石蔵之介は、浅野内匠頭の仇を討つために
平和な時代にも関わらずリスクをとった。
浅野内匠頭のために危険をかえりみずに
仇を討つ姿が私たちの心に響くのである。
忠義の奥深さを感じた。
2.巻き込み力
大石蔵之介の巻き込み力が凄かった。
死ぬと分かっていながら、46人の武士が討ち入りをする。
なぜ、これほどまで自分の命を使い果たすことができるのだろうか。
大石蔵之介というリーダーの巻き込み力がとても気になる。
大石蔵之介は果たしてどんな人物だったのだろうか。
しっかりと大石蔵之介について学んで巻き込み力を身につける。
From:小田和浩(富山大学卒、山口県出身)@日本ベンチャー大學3期生

[赤穂義士を辿る]
ただインターネットなどで調べるだけでは、
何も頭に残らないというのを改めて感じることができました。
私は赤穂義士についての予備知識はありませんが、
実際に身体を使って体感することにより、興味を持つことができました。
今後、赤穂義士について学ぶ際、体感していないのとしてるでは全く異なると思います。
12キロなんて大したことはないと思っていましたが、
ただひたすら歩くだけというのは、結構つらいものがありました。
町中の人に歓迎された、とのことでしたが、野次る人もいたと思います。
赤穂義士たちはどんな思いで、この12キロを歩いたのだろうと考えていましたが
答えは出ませんでした。
泉岳寺に着き、歩ききったという達成感と大石内蔵助の像に圧倒されました。
From:南出浩(桃山学院大学卒、大阪府出身)@日本ベンチャー大學4期生

・赤穂義士を辿る
本日は、12キロの道のりを歩きました。
吉良が討ち取られた後、切腹するまでの道のりを実際に歩いて辿りました。
最初に感じたのは、あまりにも正確に、盛大に伝わっているという事。
赤穂義士が使った休息所であったり赤穂義士が○○したという看板がたくさん。
歴史は勝者に基づいて作られる。
本当にそれは正しい歴史なのかなと感じる部分がありました。
休息所は、当時の赤穂義士の人気にのっとった商人が作ったもの、
そういう見方もあり、実際に休息所を使ったのかどうかも本当の所は不明です。
では、今日の12キロで何が感じられるか、何がわかるか。
それは、吉良を討ったという事。
そこから12キロもの道のりを歩き、1人をのぞいて皆切腹をしたという事。
ここから感じられるのは赤穂義士達の覚悟です。
本当に、適当な気持ちで全員が切腹をできるのか、いや、できない。
みな、切腹をしても良いという覚悟で挑んでいる。
今日の12キロはその赤穂義士の覚悟を体で感じさせてくれました。
今の私達にその覚悟が持てるのか。
私は、それほどの覚悟が持てるほど
意思と誇りの強い人間にならなければと感じました。
From:藤井勇貴(名古屋学芸大学卒、三重県出身)@日本ベンチャー大學3期生